「世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ【第50回】」ロベルト・バッジョ選手
ロベルト・バッジョは、言わすと知れた世界のサッカー史に名を刻む「ファンタジスタ」の象徴であり、「イタリアの至宝」と称される伝説的なフットボーラーであり、私の最も好きなプレーヤーでもあります。本記事は、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長・粕谷秀樹氏が、「世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ」というタイトルの連載の【第50回】として、バッジョ選手の魅力とキャリア、そして近代サッカーにおける創造性の価値を振り返った内容をまとめました。
【欧州サッカー】ロベルト・バッジョを表紙にすれば即完売 ファンタジスタの呼称を定着させた「銭になる男」(web Sportivaより)
圧倒的な人気を誇った「キラーコンテンツ」バッジョ
ロベルト・バッジョは、たったひとつのプレーで観る者の心をつかむ「魔法をかけた」存在でした。1990年代当時、日本のサッカー専門誌においても圧倒的な人気を誇る「キラーコンテンツ」だったと言います。雑誌などで表紙や特集を組めば完売が相次いだのです。端正なルックスと憂いを帯びた表情、そして試合を支配するテクニックで、老若男女を問わず支持を集めたスターでした。
日本で「ロベルト・バッジョ」の名が広まり始めたのは、セリエAが本格的にテレビ放送される数年前です。「フィオレンティーナに美しいゲームメーカーがいるらしい」と話題になり、実際のプレー映像では、肩のフェイクや意表を突くスルーパス、正確な中距離パス、高精度のFKなど、すべてが自然体で際立っていました。派手なリアクションではなく、さりげない動きで局面を変える姿が神々しささえ感じさせ、「ファンタジスタ」という言葉を定着させた、まさに「銭になる男」だったと評されています。
移籍騒動とバロンドール、そして監督との確執
フィオレンティーナは財政難から、1990年W杯後にバッジョをユベントスへ放出します。移籍金は当時として破格で、サポーターから「ふざけるなよ、ありえない」「よりによってバッジョを!?」と激しい抗議運動がおこるほどでした。本人も「フィオレンティーナのサポーターと私は恋に落ちていた」と語り、知らぬ間に進んだ交渉に「釈然としなかった」と振り返っています。
それでもユベントスでは中心選手として活躍し、トップ下として攻撃を司りました。スキラッチ、カシラギ、ヴィアッリ、ラヴァネッリらを操り、1992-93シーズンは21ゴールを記録しUEFAカップ優勝に貢献しました。この活躍により1993年にはバロンドールも獲得しています。一方で在籍5年でリーグ優勝は一度のみで、以降はデル・ピエロの台頭や負傷もあり立場が揺らぎました。
バッジョは監督との関係に恵まれなかったことでも知られます。現実主義のリッピとは折り合いが悪く、ミランではカペッロやサッキの下で冷遇されました。ボローニャでは「オーナーから押しつけられただけだ」と言われ、パルマ移籍はアンチェロッティに拒否されます。インテル時代も監督交代が相次ぎ、安定した信頼関係を築けませんでした。結果最優先の潮流の中で、創造性重視の選手が評価されにくくなった時代背景も影響していました。
ケガと時代の逆風を越えた「ファンタジスタ」の価値
記事では、近代サッカーがスピードと強度を重視する一方で、「ファンタジスタ」が「絶滅危惧種」と言われる現状にも触れています。その中でもメッシやダビド・シルバのように、意図的な緩急で試合を支配するタイプは高く評価されており、「速くて強ければいいってものではない」と指摘される象徴的存在であるともいわれています。
バッジョはキャリアを通じて深刻なケガにも苦しみました。右ひざ十字じん帯、外側じん帯、膝蓋骨骨折、半月板損傷など、当時の医療水準では選手生命が危ぶまれる重傷を何度も負いました。それでも復活を遂げ、ドリブル、フェイント、ラストパスで観衆を魅了し続けました。スピードに乗った仕掛けと緩急、創造的なプレーは唯一無二でした。
華やかさと悲劇性を併せ持つロベルト・バッジョは、まさに「ファンタジスタ」という言葉が最も似合う存在です。結果至上主義が進む現代フットボールにおいても、彼のプレーはサッカーの本質的な魅力と創造性を今なお伝えています。
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